生き方

断食修行で再確認 人生は自分次第ですね

成田山新勝寺 正門から内側

こんにちは!くま吉です。(@hanatare_kuma

この記事では、断食修行を通して私が考えたり感じたりしたことを紹介します。

断食中は自分と見つめ合う時間がたくさんとれます。

そんなとき人は、どんなことを考えるものなのでしょう。

私は、以前から知っていた “ある言葉” を再認識しました。

どんなことを感じ、考えたのか。

どうぞごらんください。

 

一歩踏み出すと世界は変わる

断食最終日の朝、いつものように断食道場から大本堂へ向かいます。

最後ということもあって、正門からまっすぐ階段をのぼって大本堂へ行きたいと思い、入り口で手や口を清めていたときのことでした。

 

目の前に一人のおばあちゃん。

そういえば昨日も一昨日もお見かけしたなぁと、思いきって声をかけてみました。

くま吉
くま吉
毎朝いらっしゃるんですか?
おばあちゃん
おばあちゃん
ええ、そうですよ。断食さんですか?修行を通して何か変わりましたか?
くま吉
くま吉
自分の生き方や考え方に、少し自信がついたように感じます。
おばあちゃん
おばあちゃん
それは良かったですね。もう少しですから、がんばってください。

応援していただいたことにお礼を述べ、その場を後にしました。

 

その後いつものように朝の御護摩に参加していると、終盤で肩をトントンと叩く人が。

振り向くと今朝あったおばあちゃんでした。

おばあちゃん
おばあちゃん
断食満願(今日で終わりという意味)の方ですよね?
くま吉
くま吉
はい。
おばあちゃん
おばあちゃん
大僧正様のところに行きましょう。
くま吉
くま吉
へっ??

聞くと、御護摩を終えた大僧正様が退堂されるときに、頭に数珠でちょんと触れてくださって、ご利益をたまわれるのだそうです。

何も知らないくま吉は、おばあちゃんに連れられるまま移動し、再び正座で待ちました。

 

大僧正様は御年80歳を超えてもなお、日々人々のために祈り続けていらっしゃるそうです。

運よくこの日は、数珠を通して大僧正様のご利益をたまわり、貴重な体験をさせていただきました。

おばあちゃんにお礼を伝えると、

「真面目に参拝されている方に声をかけるんですよ」

と少しいたずらっぽく笑っていました。

なんとも優しい包まれるような笑顔で、断食最終日にとてもステキな思い出ができました。

 

この断食に参加するときも、おばあちゃんに思い切って声をかけたときも、迷いがなかったかといえばウソになります。

いつもと少し違うことをするときって、どきどきするものですよね。

不安になって立ち止まったり、心配であれこれ迷ったりするものです。

でも、自分から行動をしてみると思いもよらない展開が待っていることも多々あります。

そんなとき人は、自分から行動することの大切さを再認識するのでしょう。

“自分から動いてみて、やっぱりよかった♪” と、小さな自信がついた朝でした。

 

断食明けのお粥

わずかなご飯がごちそうに

最終日の午前6時半。

世話役の方が準備してくださった土鍋には、熱々のお粥が!!

おたまを入れてみると、上はほぼ重湯の状態でしたが、下の方にお粥が沈んでいました。

(※ 重湯とは、お米をこして、お米の固形物をなくしたもののことです)

 

「やった、久しぶりに米が食べられる!」

茶碗にせっせとお米を集める私。

付け合わせは焼き味噌と梅干。

身体が塩分を欲していたからか焼き味噌の塩気が最高で、さらに独特の香りが広がり、一気に焼き味噌ファンに。

 

あれこれ複雑でなくてもいい。

特別に高価でなくてもいい。

シンプルな焼き味噌最高!!

 

何日も食べ物を口に入れていなかったため梅干のすっぱさは強烈でしたが、体が大喜びしている気がしました。

最終日の重湯

焼き味噌や梅干を交互にいただきながら、初めは多くても2杯くらいしか食べられないだろうと思っていたお粥を気が付けば5杯いただいてしまいました。

なんだか全身に力が戻ってきた感じも。

 

聞けばこのお粥は世話役の方が2時間以上かけ、私のために作ってくださったとのこと。

5杯も食べたお粥なのに、実は小さめの茶碗のさらに3分の1程度のご飯しか使っていないのだと教えてくださいました。

それでもこの満腹感は、恐るべしお粥!恐るべし断食!

 

「ごちそうさまでした!美味しかったです!」

お礼を伝え、部屋へ戻りました。

食事のことば

朝食のときにいただいた箸置きの裏に、次のようなことが書かれていました。

食事のことば
一つには 食物ができるまでの苦労を思い この食事がいただけることを感謝いたします

二つには みずからの徳を積む行いが 完全か欠けているか多いか少ないかを反省いたします

三つには 心つつしみ むさぼり いかり おろかさの三毒が生じないようにいたします

四つには 身体を堅固にし 病がおこらぬよう良薬としていただきます

五つには 不動心を養い 人びとに奉仕するために この食事をいただきます

成田山新勝寺で働く方々は、こういうお気持ちで仕事をされているのでしょうか。

五つ目の「不動心を養い 人びとに奉仕する」を読み、そんな生き方ができる心の強さを身に付けたいと思う私でした。

 

豆腐メンタルなもので……。

ぷるるん。

 

見たいように世界は見える

私が断食中に学んだ言葉に “無明の闇(むみょうのやみ)” という言葉があります。

無知であるがために、回りのことを正しく理解できず、先を見通すこともできない。

やがてそれが、生活の中に不必要な不安や恐れを生み、自身の不幸につながっていく。

というものです。

 

身の回りで起こる様々な出来事には、それ自体にいいも悪いもありません。

自分の心が勝手に意味づけをし、思い込みで世界を見ているだけなのです。

身の回りで起こった出来事をいいと判断するも、悪いと判断するも自分次第。

環境やその状況を変えようとしなくても、自分の考え方を変えるだけで世界の見え方は変わる。

つまり、自分が見たいように世界は見えるということなのでしょう。

(補足)ここでいう無知とは、国語・算数などの学力ではありません。生きる知恵というか、仏教哲学というか、そういった知恵がない状態を無知と表現しているようでした。

 

まとめ

今回は、断食修行を通して考えたことを中心にまとめました。

“一度きりの人生、全ては自分次第”

この言葉自体は、いろいろな本に書かれたり耳にしたりすることのある、ありふれた言葉です。

しかし、その意味を100%自分自身で受け止め、行動している人はどのくらいいるのでしょうか?

一度きりの人生だといっても、なかなか行動に移せずにいることもあるのではないでしょうか?

そのような人こそ、今一度自分の人生についてよく考え、後悔の残らない選択をすることが大切なのだと思います。

 

私にとって、ゆったりとした時間の中で自分を見つめ、その言葉の意味を実感できたことはこの断食修行の大きな成果でした。

成田山新勝寺の断食修行は、自分と見つめ合い、未来を思い描くのにとてもいい環境ですよ。

 

それではまた。

くま吉でした!

 

あなたにたくさんの幸せがありますように♪